還流〜悪意の不在

相棒をミステリー、というかサスペンスドラマとしてとらえている人にとっては、
なんともがっかりさせられる2話目ということでしょうか。
殺し方も、犯人も前回でわかっちゃってますから。
誰が主犯なんだ、大ボスは!みたいな期待をしてみてしまった身としては・・・。
あらら・・という感想をもってしまいました。







とはいえ、今回も社会派ドラマとしてとらえるならば、唸るばかりです。
瀬戸内さんも、兼高さんも、やり方を間違っているけど、志はまちがっていないのですから。

支援物資だけおくって、放置しておく、政治というものに歯噛みしていたであろう瀬戸内さん。
なので、だったら絶対に使われないで、権力者の口に入ってしまうぐらいなら、
その支援物資を違法な手でも再利用して、人の生活に直接手を貸したほうがいいだろう。
とまぁ、そういうことなんでしょう。

支援物資が来ないで、それを転売して設けているのなら、そのお金を自分が
現地の学校を建てるために使って何が悪いのだろう・・・。





現実は、正攻法では打開できないのであれば、それが罪となっても、手を打つことは悪いことなのか?






支援物資は本当は、届けたい人のところには届いていない、という“うわさ”。
お金だけは、赤字の国家予算からもばんばかだしているけど、それが効果なのか?
国益を得てくれる“プロ”のNGOじゃなければ、支援をしないのが国なのか。
そもそも、チャリティという名目では集まらないお金が、政治資金なら集まってしまうこの矛盾。







もしも、小笠原が自分のやっていることが、人道支援につながっていると知っていたら、
もしも、兼高が、届かぬ支援物資が結果的に自分がやっているNGOに流れていることを知っていたら、
この殺人は起きなかったでしょう。
起きなかったら、瀬戸内さんが罪を公に認めることはなかったでしょう。
そうしたら、きっと支援物資はリサイクルされて、サルウィンの人たちの命を救っていたでしょう。
子どもたちは、学校に通うことがもっとできるようになっていたのかもしれない。
それはそれで、問題なくハッピーなのではないか。








でも、彼らのやっていることは、法の名の下では、犯罪だ。誤っている。
法の下で正しく、届かない支援物資を送り続け、NGOの小さい活動は行き詰りながら、
命が消えていくのだとしたら。
法に従うことで、己に罪を積み重ねていくように感じたならば・・・。










なんて、嫌なドラマだろう。
映画なんかよりも何倍も嫌だ。
映画は当事者として自分は責められた、と思える。現に思った。
でも、今回はもっと自分の手の届かないところで起きている、偽善みたいなものが鼻先にぶらさげられている。
これも、私の罪だというのだろうか。










話は少し軽いほうに。
角田課長があんなに、できる男だとは知りませんでした。
監察官をあれほど、華麗に煙にまけるとは・・・。
さすが、組織犯罪対策5課課長。
常日頃、麻薬と暴力団と立ち向かっているだけのことはあります。
いつか、華麗な課長の取り調べがみたいものです。
見直しました、課長、かっこいいぞ!