脚本家という生き方

「脚本家という生き方」が届くまで、小林雄次という人をネットで検索した。
マックス、メビウスでお見かけする人だな、という印象しかなかったのは、
就職活動やアルバイトなどで、当時私はウルトラマンを含む特撮から離れていたし、
更には超がつくほどの懐古主義者だったので、自分のリアルタイムの作品が一番!と思っていた。



調べてみると・・・・
「自分と5歳しか、年が違わない人が、あの牙狼を書いたのか!!!」
の叫びに始まり、
私の弟が大絶賛していた「レンズ越しの恋」も、
私の勤務先のスタッフが絶賛した「監査法人」も、
小林さんの作品であることを知った。
どんなすごい人なんだ・・・と、圧倒された。
そして、深く反省した。そんなんで牙狼好きだとか言っている自分が恥ずかしかった。

そして、届いた本をわくわくして開いた。
小林さんの生い立ち、対談、作品ができるまで、何もかも知らない世界がそこにあって、
むさぼるように読んだ。

でも、実は、最初に思い浮かんだ本当の感想は、
「自分は、“脚本家になれない”んだな。」ということだった。
何を当たり前な、という感じだが、それが素直な感想だった。


私も小学生から高校生まで、ずっとものを書く人間になりたかった。
小説に何十回とトライし、詩も書いてみたり、脚本のまねごともしてみた。
大好きな特撮のサイドストーリーも書いてみたりした。
作者の小林さんと、同じ様な経緯をたどってきて、私がなぜなれないのか。
(同じと、考える時点で大変失礼なことなのですが。)


それは、私がいつもその世界の内側にいないといけないから、なのである。



幼稚園の頃から、戦隊ものをなどをみては、
「あの人たちは、番組が終わって、私の知らない間に何をしているんだろう?」
「私がこういうことをしたら、なんていうだろう?」
などと、想像して、シミュレーションをしていた。


私は小学生時代、いじめにあった。
親友と思っていた子が属したグループに一緒にいたのだが、
そのグループにいじめられたのである。
男女あわせて数人、クラスの中心にいるグループにある日突然目をつけられたのである。
いきなり、「あいつの持ち物に触ると汚い。」などといわれた時の、衝撃ははかりしれない。
血が凍りついたような気分になった。

それから、私は想像の世界に救いを求めた。
読んでいる小説の主人公たちの仲間に自分を、加えた。
自分がいる、その世界をノートにせっせと書いた。
理想の自分、孤独だったとしてもそんなことに傷つかない、強い女の子として描いた。
(もちろん、運動神経抜群、メカの操縦なんでもござれ、のようなスーパーウーマンにしちゃったりしてたが)


幸い、小学生時代のいじめは、そんなに長くは続かなかった。
そのあとも、せっせと作品を変え、登場人物の名前を自分の本名から、新たに作り替え、
ずっと続けた、そう確か、大学で就職活動を始めるまでやっていたような記憶がある。


設定を細かく割るのが好きだった。
誕生日、両親、兄弟、特技、趣味、人物相関図まで書いていた。
自分の脳内でリアルに自分や、自分が生み出したオリジナルキャラクターが、
自分の好きな作品のサイドストーリーの中に、違和感なく存在するために。


でも、せっせと書いていた作品は、いつも完結しなかった。
脳内で、どんどん再生されていくストーリーに筆がおいつかず、エンディングまで
いってしまうと、もうそこで書く気力が失せてしまうのである。


小林さんが、文中で「自分を救うために書いていたのだ。」とおっしゃっているが、
私にとって、まさに、その通りだった。
自分は、別の世界では、こんなすごい人間なのだ。
孤独など怖くはない、私はそういう強いキャラクターなのだ、というのが私を支えていた。
私は、“私”なんだから、大丈夫、と何かあるたびに何度も鏡の前で唱えていた。


私は、私がいない作品を書くことができない。
そう、どこかで気づいていたことが、この「脚本家という生き方」を読んで、あぁ〜認めなきゃ
と思った。
小林さんは、最後は自分のために、とおっしゃっていはいるが、
実相寺監督なら、どうこれを映像にしてくれるだろうか、など必ず他者の目を意識していらっしゃるし、
もし、脚本家をふくめてものを書いていこうと考える人間なら、まず当り前のこと。
私は、どうも、それができそうにない。
そもそも、世界がないと私はその世界に飛び込めないのだから、生み出す才能もないのかな〜なんて落ち込んだりもした。


とはいえ、今全く文章を書いていないわけではない。
大学の卒論で、平成特撮を扱ったことをきっかけに、ウルトラ作品の評論文集に参加することができた。
自分より遥かにいろんなことに詳しい方々に会う喜びを知った。
それから、どんどんいろんなイベントやショーに参加することで、たくさんの方と知り合うことができた。
まさに、「出逢いは出逢いを生む」を体感しているところだ。
未だ、それが趣味だけで、仕事では生きていないところが私のだめなところである。


それにしても、小林さんのエッセイに触発され、自分が衝撃を受けたことを整理したこれは、
全く感想文になっていない。
いつまでも私は、自分中心の文章しか書けないままなのかもしれない。


脚本家という生き方

脚本家という生き方