クウガの世界

五代雄介と小野寺ユウスケについての比較をするファンの方が多い。
正反対のキャラクターとして存在している雄介とユウスケ。
雄介が周りに支えられながらも、自己完結しているヒーローなのに対して、
ユウスケには人の支え=あねさんの支えが必要不可欠な、ヒーローである。
そのユウスケのキャラクターを生かしてのクウガ世界であると認識していた。


そのための、2話最後のユウスケの暴走であり、戦うためにあねさんから武器を奪う姿、
アルティメットフォームのイメージであると、私は感じた。


クウガというのは、根強いファンのいるライダーだ。
平成の先陣を切ったヒーローであるし、そのほぼ完ぺきに構築された世界は説得力も段違いだ。
それを、違うライダーの世界のなかに織り込む。
もう一度ライダーの存在を世に紹介し直すための、ロードムービーとしての役割を担う
ディケイドの世界の中へ。


東映ヒーローMAXVol.28に書かれているように、これは過去9作のライダーのエッセンスをしぼりに
しぼって、「これがクウガの世界だ」というように、世にもう一度紹介し直すための作品だ。
各2話ずつでその世界は紹介され、ディケイドは次の世界に去っていく。
なので、そもそも私が前回書いたグロンギに文化がない、なんてことは、クウガが伝えたいこととは
かけ離れた瑣末なことであり、本来ならば嘆くようなことではないのかもしれない。


がひとつ。私はユウスケの存在が薄くてすごく残念なのだ。
せっかく、彼を未熟なヒーローとして描き始めたのに、話の都合で一足飛びに壁を乗り越えてしまう
ユウスケがもどかしい。
だからこそ、そのあとの士の「笑顔を守りたい。」「こいつが闇に落ちようとも。」というセリフが私には
遠い。
もちろん、士のセリフこそがクウガのエッセンスであり、伝えるべきことは何一つ間違っていない。
だからこそ、説得力に欠けることがもったいない。
・・・・凄味が感じられないというべきか。
黒い眼のアルティメトフォームを提示したのならば、その重みを書いてほしかった。


アルティメットフォーム。戦いに見入られ、クウガという最後の希望をクウガ自体が消してしまう、
究極のフォーム。
勝つこと、相手を倒すことだけに見入られてしまう。
「ダグバと等しくなるだろう。」という当時のクウガで語られたように
笑顔で、人を殺すことが快感に陥ることすら可能になってしまう。
夏海のイメージでは、ユウスケの変身するクウガは、その「ダグバと等しい姿」でディケィドと戦う。
そのあと、それを裏付けるようにユウスケは相手を倒すことに執念を燃やす。


この危うさこそが、ユウスケが、雄介として描かれなかった、
ダイジェストの中のオリジナリティであると、私は思った。
ユウスケは、もっと私たちに近い、自分の中で戦いとの折り合いをつけることのできる強さのない、
そういうヒーローとして、クウガを再構築しようしているのか、と思って感動すら覚えた。
そこから、あくまでクウガの世界を描くならばどうするのか、このまま全く違うヒーローとして完結するのか
同じメッセージをだすなら、どうユウスケを描くか、3話が始まるまで非常に楽しみだった。


が、ふたをあけたら・・・・。
八代刑事が死ぬ間際に、ユウスケを諭し、彼はその言葉を胸にグロンギ集団と戦う。
それを、「通りすがりの仮面ライダー」がしかも、彼の代わりにクウガ世界のテーマをさらりといって
終わってしまった。
ディケイドがライダー世界をわたる水先案内人としての役割を持っているのだから、
彼がクウガ世界のエッセンスを語ることは仕方のないことなのかもしれない。
そして、それはちっともまちがったエッセンスじゃない。


人の死とは、その命で長い言葉よりも、どんな行動よりも、人を変えてしまう力があるのかもしれない。
だから、ユウスケは自分のためじゃなくて、八代刑事の言葉を胸に人のために戦うことにしたのかもしれない。


でも、私の中では納得がいかない。
ならば、ユウスケを雄介ではなく、ユウスケとして構築した意味がないのではないか?
もっと彼には、もがいて、苦しんで、アルティメットフォームを乗り越えてほしかった。
自分のために闘っていた彼だからこそ、アルティメットフォームにならないことが、
雄介がのりこえたのとは、違った意味で新しいエッセンスになりえたのではないか?
そこを伝えてほしかったのだ。
それこそが、ユウスケが雄介ではない意味があると。


私はクウガが好きだ。その完璧な世界も。五代雄介という人も。
彼の痛々しいまでの人を思って戦う姿も。その周りで自分で立ち上がろうとする人たちも。
五代雄介は、私にいろいろなことを教えてくれたと思う。
クウガがなければ、卒論まできっと書かなかった。
正義の拳に初めて迷いがあるのだと、教えてくれたクウガ
時々、その五代雄介のあまりに完璧な笑顔の前に、蝶野潤一のように素直に受け止められない時もあった。
でも、それでもクウガは私の中では特別な存在だ。


今回のディケイドのクウガ世界は、クウガの本質を全くはずさない展開だった。
無理やりとはいえ、正しいエッセンスを提示した。
それをよかったとする者、足りないと思う者、どちらもクウガを愛する者だと思う。
愛の深さなんて、どんな考えを持とうと測れないものだ。


グロンギ文化と同じく、メッセージさえ語られていればユウスケがどうであろうと、瑣末なことかもしれない。
でも、ユウスケという人物が魅力だったからこそ、私はユウスケがもっとみたかった。
だから、すごく3話は残念だった、というのが私の正直な感想だ。