殺人をみるのが好きなのか

小学4年生で、シャーロックホームズに出会い、そこからさまざまな推理小説に手を出した。
単に謎を解くのが、好きなので。
こんなトリックで、犯人がスパンとわかるとすっきりした。
そこから、ホームズやポワロの海外ドラマを見るようになった。
そこでも、やっぱり犯人をあばくところにすっきりした。

でも、今はどうだろう。CSIとか、クローザーとか、クリミナルマインドをみている私は、
そこになぞ解きを求めていない気がする。
相棒でも、確かにこんなトリックだったのかっ!みたいなところを見るのも好きだけど、
どちらかというと、今は犯人のほうに興味がある気がする。

断崖の上で「あいつが悪いのよ!」と叫ぶ話を聞くのも嫌いじゃないし、
異常犯罪者のまったく理解できない、人間狩りや浄化殺人を見るのも別に嫌いではない。
非常に痛いし、苦しいのだけれど、やめられない。

今回、クリミナルマインドシーズン2を見ていて思ったのだけれど、
異常犯罪者といっても、そこには性癖があるものもあれば、過去のトラウマから転んでしまう人もいる。
理解はできなくても、何事にもその人(たち)の秩序があるのだ。
こうやって普通に生活していて、ニュースや新聞で殺人事件を見ない日はないけれど。
そこには、いつ、どこで、はあっても、なんで、やどうやってはあまりない。
刺殺、絞殺、毒殺、圧殺、転落、などなど
そこから、何を感じ取ればいいものか。なんて普段は考えない。

もしかして、実はそこが知りたくて見ているのかしら?
基本的にCSIシリーズも、相棒シリーズも、科捜研の女も、出てくる人はみんなプロだから、
甘ったれたラブストーリーなんかをみるよりも、ずっと楽しいから見ていたつもりだったのだけれど。

「悪は人を魅了する。」


相棒の劇中にでてくるセリフだけれど、そういう意味では私も悪に魅了されているのかな。
人はなぜ人を殺すのか。
どんな自分のルールの中で、殺人を犯すのか。
プロファイルとは何か。犯人に寄り添い見いだせるものは何か。


詳細被害者になる確率は0ではないし、ましてや加害者になる確率も0とはいえない。
誰しも潜在的な被害者であり、加害者である、といったらいいすぎかもしれないけれど。
う〜ん、特にクリミナルマインド見てると思っちゃうんだよねぇ。
全米に異常者がゴロゴロしてるんだ〜ってことよりも、
犯人のサディスティックな快楽とか、人を殺すことでえられる優越感とか、
それはどこから来るんだろう。狂信的な犯罪から、戦争のPTSDでいつのまにかその世界に戻ってしまい、
人を自覚なく殺して行ってしまうとか。
ある日、そちら側にころんって転落するのは誰にでもありうることだし。
自分にないとは絶対に言いきれないし。

ニュースで、そんな人には見えなかったっていう知り合いや近所の人のインタビューがあった後、
いつの間にか週刊誌とかが異常な過去が、とかって書くでしょ?
誰もが、がんばってたたけばそういった埃が出るってことのような気がする。
自分もそうなるかもって思って、そうはならないぞと誓うために私はドラマを見ているのか?
というわけでもないな。
・・・・・きっと、必ず犯人が裁かれるところに安心するのかなぁ。
理由を知りたくてもわからないけど、手錠をかけられた、とか、射殺された、とか。
絶対に証拠が残らないことはないんだ、とか。

そして、プロにも弱点はあるのだ、とか。娘とうまくいってないとか、仕事人間だとか。
頭が良すぎてうまくまわりと付き合えない、とか。
PTSDに悩まされるとか。

割り切れないドラマはもちろん苦しくて楽しくないのだけど、見ずにはいられないのは、
やはり自分への戒めかしら?

よくわからないなぁ。
でも、とりあえずクリミナルマインドは面白いです。
しかし、猛烈に今回凄惨な場面が多く、捜査官たちもへヴィーな状況に置かれるので
正直、ちょっと早送りしてしまったとこも・・・(汗)
でも、おもしろい。SEASON2のレンタルはまだ先だから・・・・SEASON3が見られるのはいつだ。
もっとリッチになったら、絶対CSに加入しようと思う今日このごろである。
あ、でもひきこもりになってしまうかも。今日も1日クリミナルマインドばっかりみてたしね。