4年間の終わりを・・

朝、ひとりで起きてみました。
暗い部屋で、ひとりで玉田のシュートを喜び、後はただひたすらぼんやりと試合が過ぎていくのを見ていました。
いろんなニュースでサポーターが泣いていたりしたけど、
私は泣かない。
だって、私は4年間戦ってきたわけでもないし、ましてや選手でもない。
泣く資格なんてこれっぽちもない。


4年間、ジーコになってから私はサッカーから遠ざかった。
「気持ちの入らない」サポーターだった。
ただ回されるパスにも、入らないシュートにも、失点する守りの薄さも、よくわからない采配にも全てにいらだった。
でも、もうそれも終わった。
次に行こうぜ、みたいなそんな気分にもなれない。
ただただ、これからも応援していくことができるのかな・・・ってそれだけが不安。
私は何が楽しくてサッカーを見ていたんだろうか。
知れば知るほど、知識がついていくほど遠ざかっていく気がする。
ちっとも楽しくない。見ていてついてでるのは、叱責とため息だけだった。


そう、もう報道にもうんざりだ。
「なぜヒデはイチローになれなかったのか。」
なんでそんな話題を出し、なんでそんなことわざわざ考えなければいけないんだろう。
それに何の意味があるの?
誰かを英雄として持ち上げたり、はみ出しものとして貶めるだけで満足しているようじゃ、
日本のスポーツ報道のレベルなんてたかがしれているじゃないか。
もっとまともなことはできないのか?
ヒデの最後の姿を追い続けて、泣いてただのなんだのって聞きたくないね。
本当の気持ちは今は誰にもわからないし、想像と感傷だけの記事なんて真っ平。
ヒデは左腕どうしたんだろう。私の関心はそっちだったけど、聞き逃したのかいわれなかったのか・・わからなかった。


わめくだけの実況や解説を並べ立てるだけの民放の放送なんて、金輪際みたくないぐらいだ。
あきたらずタレントを並べて騒ぎ立てるな
それをいって、手のひら返すように報道するぐらいなら煽るな。
放映権料が高いから、視聴率を取らねばならないんだろうが、現実を伝えない報道にも放送にもうんざりだ。
W杯番組の日本代表情報や分析からいったい何を得ることができたんだろう?


「ブラジルだもん、仕方ないよ。」「2戦目は引き分けだもんね。」なんていう気もない。
勝てる試合を落とし、格下相手に点を取りこぼすのは強いチームのすることじゃないんだもの。
「おつかれさま、よくがんばったね!」なんて言葉をかける気にはなれない。
何が足りないのかわかっているのは、これからもプレーを続ける選手だから、それを補う努力をしてもらえればいい。
しない選手は4年後には、もしかしたら来年にはいないのかもしれないわけだから。
経験と結果はこれから、見ることができる。


得点力不足のFWを責めればいいのか、失点を簡単に許すDFを責めればいいのか、
ボールをまわすだけの中盤を責めればいいのか、ずっとわからなかった。無論今でもわからない。
チームの中でどんな考え方あって、どんなやり取りがあったのかは知らない。
勝ちたいという思いは一緒でも、そのベクトルはバラバラだったのかなぁ、なんて思うのも私の感傷だ。
ジーコに怒りを憤りをぶつけるのも、気持ちが足りないと選手を責めるのも、みんな感傷にすぎないんだ。私も含めて。
だから、お決まりの「あの時点数が入っていれば」「あの時勝っていれば」「気持ちをもっと強く持っていれば」なんて
ことは思いたくないし、これからも聞きたくない。
日本のサッカーは今日で終わるわけでもないし、たとえ私が遠く離れたとしても進んでいくんだから。


本当はここで、こんな事書く資格すらないのかもしれない。非常識かもしれない。
でも、なんだか夕刊の記事を読んでいたら爆発的に怒りがこみ上げてきた。
なんか・・・・むなしくてしょうがない。