元教諭への判決と、また語りたくなったので語る「愛国心」「日の丸」「君が代」

卒業式での件で裁かれた元教諭。
・・・・国旗・国歌の根はすっごく深いなぁと思う。
この事件を判決と周りの人の意見だけで済ませていくのかなぁ・・・新聞やテレビは。
今日、ジャーナリズムの映画を見ただけに・・・すごく気になる。


私は意見を表明する事は自由だけれど、それを・・・卒業式で訴えるというのは・・・どうかと思う。
中学時代、保護者が「反対です」と叫ばれたときは・・なんともいえぬ・・空気が漂ったことを覚えている。
そんなの・・・自分で抱えてくれよ・・とも思った。
が、今回・・・それを・・・裁判で裁く必要があるのか?というのは非常に疑問だ。
それで生徒の9割が着席したとしてもだ。
教諭ひとりに、そんなに影響力があるわけがない。そんなに満遍なく人気のある教師は存在しないと思う。
着席したのは生徒の意思である。
それを都議会で問題視する?訴える?愚の骨頂ではないのか。


私は、前もいったけれど、ちっとも納得がいかない。
なんで、「たかが旗」に頭を下げ「たかが歌」を強制されなければならないのか。
一つには、法律で強制された挙句に、締め付けられていることに全く納得がいかないというところがある。
そして、別にこれは戦争中に天皇云々・・ということにも関係がない。
歴史は変えられないのであって、歴史にこだわってとやかくいっても、進展はない。
積み上げたものを修正液では消せない。
戦争中、天皇の名において死んでいった人間が多かった事、死ぬ事が強制された事、
そこに「日の丸」と「君が代」があったことは事実であって、もうゆるがない。
なので、もうこれは信念の問題であって、歴史を理由にする人もいるだろうし、そのほかの理由で拒否する人はいる。
それの何が悪いのか?
掲揚するのはマナーだと、先日夕刊で女性の作家がいっていたが・・マナーとは思えない。
マナーは形式。形式を守るだけでいいっていうなら、私は今までの式典でも形式で下げてきた。
全体責任となるというので、下げ続けてきた。


私は他の国の国旗や国歌をけなすのは嫌いだ。
よくサッカーで、相手の国歌の最中にブーイングをする輩がいたり、中国に大日本時代の国旗を持っていったりする
輩がいるが、不愉快である。
もちろん、どんなに強制されるのは嫌だと思っても、「日の丸」が燃やされるのも嫌だ。
ちなみに、オリンピックやサッカーの試合で流れる「君が代」、はためる「日の丸」を嫌だとも思わない。
そこには・・何の強制もないからだ。


「日の丸」は国旗だろうと思う。「君が代」は国歌だろうと思う。
長い積み重ねでできたし、そこは否定できないと思う。
でも、それを否定する人がいることも、否定しちゃいけないと思う。
私達は信念を持つ自由を持っているからだ。
私はその自由を圧迫される事がいやだ。
法律で定められる事もいやだ。
法律で決めたから従えといわれるのも嫌だ。
そんなとこから、生まれる「愛国心」なんて何の価値もない。
そういうわけで、私はこれから定められることになろう
愛国心」も「日の丸」も「君が代」も、敬うつもりはこれっぽちもない。