blogをなぜ書くか。
実は、それを発見したのではなく、YUKOさんのblog「私の音叉」
で、私がこの間、考えていたblogについてうんぬん*1と同じ題材をきりとっていらっしゃったので、とても感激!!
こう、blogで自分の悪行三昧を書いて人生を棒に振ったり、なんだりと・・いうことで
ゼミ研究にはぴったりのようです。(ところが、一向にゼミ論は進んでいません)
ネット上に言葉を載せる時 私は必ず 私ではない存在に向かって書く 不特定多数 見えない観客を意識して書く 誰が そしてどんな人が読むのか分からない公の場ネット どんな反応が返って来るか予測不可なネット だから 自分が送りだしたモノに対していつでもキチンと責任を取る気持ち つまり 反論議論ウエルカムな気持ちを常に持っている それが 送り出す者の責任と思っている だから 観客の意識 は常に心にある そしてこの 見えない観客の意識 は 実は 自分の中に別の私を作る作業だ これが 自分を外側から見つめる事 感情や想いをくっきりと言葉にする事 を 自然と大いに助ける事となる
(http://d.hatena.ne.jp/yukolovesmusic/20051110)
一部を抜粋させていただきました。
これが、blogを書く上で持つべき事なんだな・・って
言葉にしていただいたものを読むと、改めて実感します。
私は、人に読ませるということ、それに対しての意識が極めて低い。
不特定多数の人が読んでいる
という、その覚悟のようなものが薄かったです。今も薄いかな・・・。
以前、障害者に関するblogの記事に対して、
何気なくトラックバックして意見を書いて、先方を激怒させ
相手方のblogで「下衆」とまでののしられた事があった。
あれは、私のほうが人に読ませる、という意識のないまま、ひどいわ〜こんな事考えて
と感情優先で書いた挙句にトラックバックした。というのが原因。
今の冷静な分析はそうだ。
つまり、あの時点で私は自分の意見に猛反発をくらうなんて夢にも思っていなかった。
なんというのだろうか。
「私のblogを読む人は、私の意見の賛同者達だけ。私が絶対正しいのよ!」
っていう傲慢さみたいなものがあったっていうことかな。
それが相手を「下衆」とまでののしらせるほど怒らせた。
私のほうも、泡を食って驚いてただ謝っただけで終わらせてしまった。
これも良くなかったと思う。
私が深く考えもせずトラックバックして意見をしたのが火種だが、
「下衆」と人をののしるのは、マナーがないと思う。
ようするに、私にはきっちり論戦するよ!
という度胸も覚悟もなかったということなのです。
結局、先方もそれで納めてくれたので炎上ざたにはなりませんでした。
webは蜘蛛の巣。様々な人の意見をからめとる場所。
なのに、私はいつも自分一本槍で自分の世界だけで閉じてしまう。
blogを"書くことだけ"を意識してしまうと、とんだしっぺ返しをくらうのです。
私がさまざまなblogを読むように、たくさんの人が私のblogを通り過ぎて行く。
そのことだけは、きっちりと意識にとめておこうと・・思いました。
・・・・・・・・・・・まとまってないorz
ゼミ論の結論部分にいたるときには、しっかりやっておきます。
*1:11月8日参照vv