神は人を争わせたかった。

バベルの塔の話があります。

その昔、人は神のところに行こうと高い塔を建てようとしました。
神はその不遜な態度にお怒りになり、人々の言葉を分けてしまいました。
言葉が通じなくなった人は争い、塔は建てられなくなりました。




で、私は思うわけです。
この聖書が正しければ、神こそが戦いの火種じゃないですか?
自分のところに上ってこられるのが嫌だから、
言葉を分けてしまえばいい。
争っている間に塔は壊れる。



神は世界を沈めたりする資格はありません。
争う理由を作ったのは神自身なのだから。



なんとなく、神の存在を疑うようになっていた小学校後半、
もしかしたら私はこんな不信感を持っていたのかもしれない。



戦火で泣く子供をなぜ、神は見殺しにする?
昔のようになぜ世界を滅ぼさない?



神様っていないよね。
そう結論付けた私は、教会に行くのをやめました。
クリスマスイブのミサには無理やり連れて行かれましたが、
中3からそれもなくなりました。
私はとりあえず、”キリスト教”という神は信じられません。
他の宗教もとりあえず信じてません。
神のようなものはいたとしても、全知全能ではないと思います。